市野 英樹 個展によせて
“ 坐る スワル SUWARU ”(2002年 4/12〜4/29)


                                               市野 英樹プロフィールへ

画廊シェーネ 店主 奥田 聰 敬白
Galerie Schoene OKUDA Satoshi
 私は、市野 英樹という画家が、戸外をモチーフにして描いた絵
というものをまだ見たことが無い。
室内に坐る人物像が、彼の若い頃からの一貫したテーマである。

 かつてその生涯の多くを、アトリエの窓から差し込む弱い柔らかな日ざしの
変化の中で、装飾性の無い花瓶や水指し、鉢などの器をくる日もくる日も変わる
こと無く描き続けることで日がな過ごした男が居た。
イタリアの画家・モランディである。
私は、彼の作品を初めて観た時、「何の変哲も無いこの静物をどうして
こうも繰り返し描くのだろう?それにしてもこの単純な色使いが、
又魅力的なのは何故なのだろう?」と不思議に思った。
カタログを閉じてしまった後も、彼の描いたその静物像はしっかりと
私の脳裡に刻まれ、いつまでも忘れることがなかった。
モランディの描いた実在感のある静物は、
こうして私を感服させとりこにしてしまったのだ。

市野 英樹の作品に話を戻そう。作家がこれまで執拗に追い求めてきた
絵画の本質は、瞑想的かつ構成的で、形態をより完全なものとして
実在感のある人物像を画布に定着させる行為であったと言って良い。
モチーフと色彩こそ異なるが、私にはモランディと同じ精神的指向と魅力を
感じてやはり感服してしまうのだ。
実際私の妻も、当画廊の平月の企画展で、コレクションの市野英樹作品を飾ると
決まって「何か、美術館に来て観ているようね!」と語る。
そう彼の作品には、長い年月、厳しい目利き達の鋭眼に耐えたあの優れた
作品の持つ歴史の重み感じさせる、威風堂々とした一種独特な風格が有るから、
イタリア美術好きの妻も、ついそう言いたくなってしまうのであろう。

 市野 英樹は、1982年の刊行の「名古屋造形芸術短期大学
(現在の名古屋造形芸術大学)研究紀要第5号」の小冊子の中で
次のように語っている。「、、、人物像の実在感をどうしたら表現できるか
調子・色・形・構図等思考錯誤した結果が、マチエールとして残りました。、、、、」
又「具体的な人物の形態は消えても良かった、、」とも書いている。
つまり作家にとって、世間的な意味でのちょいとばかり美しく見せようとか
見せ掛けのダイナミズムなどという姑息な手法や誇張は無用である。
もっと自然体で、限り無く人物像の本質を見極めていくことこそ重要で、
よりリアリティのある作品として描くことが画家の本分であると
十分心得ているのである。通常の作家なら人物像に於いて、衣裳やしぐさ、
顔の表情といったことにとらわれがちだが、絶えまなく移り行く人物像の本質は、
それだけでは見えて来ない。
だからこそ具体的な人物の形態が消えることになってもそこにうごめく変わらぬ
人物の本質が実在していることを画布に留めることが出来るなら形態を捨てても
良いと遠い昔から市野 英樹は気付いていて、ただ黙々と実践してきたに過ぎない。

市野 英樹の沈思黙考する精神のあり方を具体化するために「坐る」という
テーマも又、 画家本人は、「何故か分からないが、坐る形に興味が湧く、、」と
語るが、 彼がこれまで繰り返し描いてきた自ら希求するところと実は見事に
符合しているのだ。
「坐右の銘」「坐談」などの言葉にも使われたり、またお釈迦様は坐して
深く瞑想することで、悟りの境地に到達し得たことは、感慨深い。
  
  
   嘲笑をこめた野球用語の「スタンドプレイ」も「シットプレイ」とは
言わないところをみても、立ち上がって興奮して騒ぐことが、ろくなことにならない
のは自明の理である。
   兼ねてより私は、市野作品が居間ではなくて、不思議と書斎のような知的な空間に
置かれた時、その真価を発揮するのは、市野 英樹のこの絵画制作態度がもたらす
ものと思っていたが、賢明な諸氏はどのようにお考えであろうか?

 今回の当画廊での展覧会では、作家には、ペンとコンテという画材を用いて
描いていただいた。
総点数として普通に考えれば、決して多い点数では無いが、ペンとコンテだけで
これだけの点数を揃えて行う展覧会としては、市野 英樹の画家生涯では
初めてことである。
市野 英樹のこれまでの作品を目の当りにしてきた多くの方達は、
すでにお気付きになられたかもしれないが、
今展覧会の特徴はなんと言っても次の点にある。

これまで彼の油彩画や水彩画などに於いては、人物像をより実在感あるものにしたい
という思いから、絶えず交錯しては揺れ動く画家自身の裡に突き上げて来るイメージを
捕捉する手段として複数の線を何本も塗り重ねていく作業は必要不可欠なことであった。
また、塗り重ね更正し直すことで作家のイメージをより堅固に出来るという利点を
併せ持っていた。

今回は、ペン画もコンテ画も、用いる線を出来る限り少なくして、なおかつ表層的に
陥らないように人物の動きと存在感を描き切る工夫をしている。モノクロの線描と
数少ない色彩に限定したことに最初とまどいがあった様子であるが、
作業をし始めると楽しくなったと語っている。
ペン画に於いて特にそのように感じたとも述べている。
今までの市野 英樹の一筆一筆の要素は、想像は出来てもなかなか見ることの
出来なかったものであるが、
今展では、これを一挙に公開したことに是非ご注目をいただきたい。

 華かさとは縁遠いこれらの作品は、いづれも描かれた人物の寡黙な精神と
穏やかな生命の鼓動が聞こえてくるような良質な作品に仕上がっていて、
さすが実力者と思わせるものがある。
また、慎重に吟味された明瞭な人物の形象には、描き進める中に喜びを見つけたという
画家魂と作家周辺の愛すべき人達への思慕の情を感ぜざるを得ない。
じっくりと作品をご鑑賞いただきたいと願う次第である。

 さらに、奥の応接室に展示したこれまでの油彩等の参考作品と見比べながら、
今度の展覧会を通じて今日の日本では数少ない、実在する真の形象を希求する画家、
市野 英樹の魅力をご堪能いただければ、今展を企画した画廊主として本望である